コンブにラッコ。

今日も波間から 世界を眺める 

「パプリカ」と聞けば「夢」の話をしたくなる。

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パプリカという言葉で思い出すのは、2006年のアニメーション映画「パプリカ」。随分前に観たので詳しく覚えていないが、眠る時に見る「夢」をテーマにした作品だった。他人と夢を共有する機械、夢と現実の境、夢による現実の侵食、謎の女性パプリカ。観ていると、こちらまでグルグルするような強烈な映像力があった。

 

 

他人と夢を共有する話と言えば、全く趣の違うもので、川原泉さんの漫画「フロイト1/2」がある。精神分析学の祖・フロイト教授が作った「西」と「東」で1セットの提灯。それを分けて買った二人が、夢の世界を共有するという話。川原泉漫画については以前書いたことがあるように、切なくもユーモラス、愛のある漫画だ。

 

 

夢は本当に脈略がない。時間はまぜこぜ、登場人物もまぜこぜ、無関係な友人と友人が友達だったりする。有名人が出てきたり、見たこともない場所に行ったり、絶対に夢だと気づきそうな状況なのに夢だと気づけない。あぁヘンな夢だったと思って起きたつもりが、起きたのも夢だった、なんてオチもある。

 

今まで見た夢の中で特に印象的なものは、なぜか空に関する夢が多い。パラグライダーで大自然を見下ろす夢、飛ぶほどでもない低空を飛んでいる夢、空に浮かぶ神殿に立っている夢、宇宙空間から地球を見ている夢。空への憧れはそれほどないと自分では思っているので、そこには何か別の意味が隠されているのだろう。

 

これはどんな意味があるのだろう、などと思って、起きがけに夢分析を見てみることもあるが、ラッコのような素人では部分的な意味をトンチンカンに拾っているだけで、夢の本質にはとても近づけそうにない。いっそ「ふしぎな夢を見たものだ、うんうん」と頷いて終わっておくのが単純でいい。

 

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同居人のなまこさんは夢の中で、自分が夢を見ていると気づいたことがあるらしい。明らかに今会っていない人が、ありえない状況で夢に出て来てハッとしたなまこさん。思わずその人の肩をポンと叩き「これは夢だよ、○○○くん!」と力強く宣言したそうだ。すごい。ラッコはそんな状況でもいつも気がつかないのに。。

 

夢の中で夢だと気づくことを、尊敬の念を込めて「夢目覚め(ゆめざめ)」と呼ぶことにしよう。「め」がひとつ多いことは、この際目を瞑ろう(夢だけに)。これは完全に勝手な想像なのだが、なまこさんに「夢目覚め」が起きた理由のひとつには、出てきた人の名前が関係する気がしてならない。

 

プライバシーがあるので「○○○くん」の部分は明かせないものの、その名前は、ラッコがこれまで聞いたこともないような珍しい苗字なのだ。たとえば漫画「らんま1/2」の「五寸釘くん」くらいに。そういったインパクトのある何かは「夢目覚め」の引き金になりそうではないか。まぁ単に目が覚める直前だった、という理由かもしれないが。

 

愛の夢

愛の夢

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ちょっと「夢違い」な話を夢のように脈略なく進めると、ラッコは、リストの「愛の夢」が好きで、この曲を聴くといつもキラキラした気持ちになる。特にフジコ・ヘミングさんの訥々としたピアノは、音から詩の匂いが膨らむようで、最後の一音まで美しい。ついでにスヤッと眠れてしまいそうでもある。

 

確かなように思えるこの現実も、終わってしまえばすべて夢のように感じる。写真が残っていても、証拠の品が残っていても、目の前にはいつも今しか存在しない。寝て見る夢、起きて見る夢。本当はさして変わらないものであり、パプリカのように、どこかでふたつの世界が交錯するとも限らない。「世界」は思うより曖昧であやふやなものなのだから。

 

なまこさんは子供の頃、枕の下に好きな人の写真を入れて寝たらしい。そうすれば夢でその人に逢えると。もしラッコが誰か好きな人と夢で遭えるとしたら、と考えてみた。考えてみたのだが、出てこない。なぜかと言えば、、好きな人とは正面きって逢うのではなく、出来ればそっと見ていたいから。だって、なんか恥ずかしいでしょう。

 

 

追記。記事冒頭の写真は、頂き物のパプリカ。まだ食べていないので、今のところ「現実」に存在している。胃の中に収まったなら、そんなの食べたっけ?と疑問に思うかもしれない。それはただのド忘れか。