コンブにラッコ。

今日も波間から 世界を眺める 

桜の真下でお花見を、桜は間近でお花見を。

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昼間の太陽の下に座り、手の平を上に向けると、春の暖かい光には、なぜか重さがあるように感じる。冬の間は透き通った軽い太陽だったのにと、手の平を眺めつつ、妙なことを思う。このグイグイ押してくる陽気にせっつかれて、今年の桜は少し早めに咲いたのかもしれない。

 

家のすぐ近くに、一本の桜の木がある。家から車で10分の丘の上には、数え切れないほどの桜の木がある。今年はどの木もたくさん花を抱えて、風にふわふわと揺れている。年毎に違う花の数を確かめるのも、桜を見に行く楽しみのひとつだ。鈴なりの年はそれは壮観で、少ない年には穏やかな気持ちになる。どちらがいいとは言い難い。

 

ラッコの住む辺りでは晴天が続いていることもあり、どうやら桜は雨でなく風で散ることになりそうだ。もうすでに咲き終わっている木もあるが、近くの桜は、まだ運良く枝にとどまっている。今日、木の下に行ってみたら、小さな花の束が地面に落ちていた。思わず拾って玄関先のポストに飾る。何とも柔らかく淡い花びら。すぐに飛んでしまったけれど。

 

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丘の上の桜並木は、大きな公園の中にあるので花盛り人盛り。ふだんは静かな広場が、いろんな意味で咲き誇っている。広大な空間も急に狭く感じるから不思議だ。夜には桜がライトアップされて、白く華やかな世界になる。試しに古参のiPhoneで夜桜を撮ってみたら、色白すぎてオカルト写真調の仕上がりになった。夜の風景は心のアルバムに。

 

そういえば、ジブリのアニメ作品「紅の豚」の中に「さくらんぼの実る頃」という歌が出てくる。作品内で声優も務める加藤登紀子さんの歌がすばらしく、ラッコは「紅の豚」の話自体が好きなこともあり、映画のサントラを繰り返し聴いた。フランス語のシャンソンと加藤登紀子さんの低く震えるような声が一体となり、とても味わい深い。

 

さくらんぼの実る頃 (フランス語バージョン)

さくらんぼの実る頃 (フランス語バージョン)

  • 加藤 登紀子
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

子供の頃は、桜の木にさくらんぼが生るものと思っていた。実際にさくらんぼが生るのは「セイヨウミザクラ」という木らしい。モンペリエにいる頃は、花の種類を気にして愛でたりはしなかったので、この曲で歌われているサクラがあったのかどうかも分からない。もっと見ておけばよかったと思うものが今になってたくさん出てくる。少なくともパン屋巡りはしておいて良かった。

  

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夕日の当たる桜が、ラッコの撮影できるギリギリの時間帯だった。昔からそうなのだが、なぜか植物はごく近くで撮りたくなる。元々の視点がそうなのか、以前なまこさんと屋久島に行った時も、霧に煙る太古の森の中で、小さなコケやシダばかり撮っていた。どんな小さなものも、覗き込めばその美しさが見える気がするからだろうか。

 

木を見て森を見ず、どころか、地を見て森を見ず。桜の花にしても、こんなに近づいてパシャリとやったら、太陽光線よりもグイグイ来るやつだと思われていそうだ。どうもコンニチワ~とか言って近づいてくるラッコを、どうぞ春のような暖かい目で見ていてくれますように。大丈夫、懐の大きな桜さまだもの。

 

もうすぐ、本当に間もなく、桜の花は舞い落ちる。今年は花の下での宴会はしなかった。自分でも何か勘違いしている気がしてならないのは、桜の下で何か食べなくては「お花見」と呼ばないと思っていること。そんな、遠足じゃないんだから。。花を見たのだから花見でいいじゃないか。

 

とはいえ数年前、都会の公園で満開の桜を見ながら、ビール片手に食べたタコ焼きは美味だった。花より団子というより、花にはタコ焼き。ミニマルライフの一環で手放したタコ焼き器、またいつか出会えぬものかと、なまこさんにはナイショで夢見ている。あぁ桜の話、シメがタコ焼きとは我ながら恐れ入った。ま、いっか。

 

 

なまことラッコの春めいたコラボ作↓↓

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わが家のミニマルライフ?な話↓↓

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本日の一品 『 紅の豚 』

1992年に公開された、宮崎駿監督によるアニメーション映画「紅の豚」。なぜか豚になってしまったイタリアの飛行艇乗り、ポルコ・ロッソ(マルコ)のお話。ポルコを見るとつい口から出てしまう褒め言葉、カッコイイ。飛行艇と空と恋、そしてその時代。切なくもあるけれどコミカルな、空の美しい物語。

 

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