コンブにラッコ。

今日も波間から 世界を眺める 

南仏の街モンペリエ、一人暮らしの思い出。

montpellier-france-1

 

南フランスにモンペリエという街がある。青空と太陽に満たされた学園都市。地中海側のゆったりとした時間が流れつつも、若さの活気に溢れた場所である。パリからTGV(新幹線)で約3時間半、人口27万人程のこの街に、ラッコも学生として1年間暮らしていた。

 

もう10年以上前の話になる。渡仏の目的はフランス語を学ぶ為の語学留学だった。けれど本当の目的はもっと単純で、自分の見たことのない世界、会ったことのない人々と出会う為だったと思う。だからその先に何があるとか、フランス語を使って何かしたいという気持ちはあまり持ち合わせていなかった。

 

ただ、知ることや学ぶことは好きな方であり、可能なら、何か専門の分野を追求し続ける「学究の徒」になれたらとは思っていた。それがフランスで見つかるならその流れで、という感じで大学付属の語学学校に通っていた。自分が学者肌ではなくぼんやりしたラッコだという事に、この時はまだ気づいていなかったらしい。

 

montpellier-france-2

 

そもそも外の世界への「つて」としてフランス語を選んだのは、英語は中学で出遅れ文法が破綻したため、どうせやるなら全く知らない言語にしようと思ったからだ。この選択は正解だった。自分でこれと決めたことは学ぶ意欲が湧く。時が経ちフランス語も随分抜け落ちたが、拾い直せば何とかなりそうだと思えるほどには文法をマジメに覚えた。

 

知識としての言語から、暮らしとして肉付けされた言語へ。モンペリエでの生活は、大学で修めたフランス語を会話として味わう貴重な機会だった。けれどそれ以上に、フランス語を育んだ土地や文化や人々を眺め、体感することの出来る貴重な機会だった。1年は短く、ラッコの性格は内向きで、あくまでそのエッセンスに触れただけではあるものの。

 

一人暮らしは留学以前にも経験していた。アバウトなやり方とはいえ自炊も出来たし、言葉を除けば生活自体は、フランスで暮らすも日本で暮らすもそんなに変わらなかった。スーパーに食べ物や生活用品を買いに行き、デパートで服や雑貨を揃える。役所関係の手続きで毎度あたふたするのも大して変わらない。

 

日々の暮らしの中で日本と違って感じたのは、時間の流れと人の雰囲気だろうか。これは南仏だったからかもしれない。あの年中青い空のせいか、時間も人間もどこかゆったりとしているのだ。同じ時期にフランス北部に留学し、モンペリエに遊びに来た友人が「ここは楽園か」と言っていたので、やはり地中海の温暖な気候が影響しているのだろう。

 

たぶん青い空の下では、人は暗くは居にくいものなのだ。夏から夏までの1年間、それなりにいろんな事があった。けれどどんな時も見上げれば、強くて眩しい空が待っていた。フランス語を話すのが面倒で鬱陶しい時も、人の中で疲れてしまった時も、何か少し食べて、外へ出て、散歩すれば、太陽の光に照らされて元気が出る。モンペリエは、そうして歩くにはとても良い街だった。

 

montpellier-france-3

 

ヨーロッパの街並みを初めて見た時の感動を忘れない。と言っても、それはパリではない。留学の為に日本を発ち、初の海外、パリのシャルル・ド・ゴール空港に降り立った。1年分の重い荷物を持ち、そのまま空港近くのホテルに向かう。夕方だったのか、何をするでもなく一泊し、翌日空港に戻って、飛行機でモンペリエに一直線。

 

席が間違ってますよ、などとフライトアテンダントの方に言われながら、緊張した面持ちでモンペリエの空港に到着した。そこから今度はバスに揺られて街の中心部に向かう。天気は晴れ。道路は右。バスは軽快なスピードで走り抜け、景色は流れる。そこかしこが南の雰囲気ではあっても、街並みはまだ一度も見ていなかった。

 

これから住むのは、街の中心部にある、学生ばかりが住む寮のような所だった。バスの中で場所の確認をして、着いたバス停から真っ直ぐその場所へ向かう。まだ周りをゆっくり見ている余裕などない。通りの名前と建物の番号を頼りに、どうにか寮を発見し、管理人のマダムに部屋まで案内してもらった。怒涛の2日間、バタリと就寝。

 

一夜明けて。小さなワンルームのベッドで目覚め、ここがフランスだったことに気がつく。ベッドの横に勉強机、その前に四角い窓がひとつ。今日も空は晴れているらしい。その他部屋にあるものは、クローゼット、トイレとシャワー、コンロとシンクと冷蔵庫の簡易キッチン。あ、食べもの買いに行かなきゃ。空っぽの冷蔵庫と胃袋に何か入れなくては生活は始まらない。

 

服を着て、リュックに財布を入れて、いざ街へ。ラッコの住処は、モンペリエ中心街の端の方にあった。街までは歩いて10分もかからない。寮の前の通りへ出て、中心部への曲がりくねった一本道を歩く。道は狭く、両脇の建物は大きく古くはあるが、少し地味な印象だった。大きくカーブしたその道を進んでいくと、ある所で急に視界が開けた。

 

montpellier-france-4

 

それがラッコの初めて目にしたヨーロッパ、モンペリエの旧市街の街並みだった。突如開けたカーブの向こうから、歴史を絵に描いたような建物が次々と迫って来た。なんだこれ、映画か?映画なのか?と胸を高鳴らせながら、上ばかり向いて歩いた。よく見れば足の下は石畳。道行く人はフランス語、店の文字もフランス語。広場にカフェにバゲットに映画館、、

 

やばい、ここ、フランスだ。すっかりテンションが上がったラッコは、これからの生活に抱いていた不安も忘れて、美しい旧市街をひたすら歩いて回った。それから1年、日課のように歩いたが、モンペリエの街並みに少しも飽きることはなかった。パリに比べればそれほど古くもなく、こじんまりとした旧市街。きっと今でも、その街並みは変わっていない。

 

住めば都の言葉通り、モンペリエはラッコの都になった。その時間を共有した人々との思い出と共に、通りのカーブやパンの匂いを思い出す。散歩道でスズメが砂浴びをしていた。なかなか落ちない夕日はサーモンピンクだった。坂の上の公園でギターを弾いた。語学学校の先生は南仏訛りだった。外国人とは自分のことだった。

 

見知らぬ国の見知らぬ街は、たった1年で「わが街」になった。モンペリエはわが街。遠い記憶でも、未だにそんな気がしている。いつか「里帰り」をすることがあれば、その時は何をしよう。そう考えた時、思い出すのは、いつも通ったペイルー公園と、よく食べたケバブとバゲットとパニーニ。ラッコのモンペリエ一人暮らしは、大体そのようなものだった。

 

本日の一品 『 プチ・ロワイヤル仏和辞典 第4版 』

学生時代にラッコが使い倒した仏和辞典。フランスに持って行ったら「授業中は辞書を使わないこと」と言われて驚いた。じゃあ分からない単語はどうするのかと言えば、先生に訊く。当たり前だが説明は全てフランス語。これは相当鍛えられる。気の小さいラッコは、尋ねる時にいつもドキドキした。

 

 

同居人なまこさんのイラスト、モナコ公国公妃さま↓↓

www.namako.blue