コンブにラッコ。

今日も波間から 世界を眺める 

魔法使いは今日も「とんがり帽子」をかぶっている。

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アニメに漫画に、映画にゲームに小説に。古今東西、ファンタジーの世界では当たり前の存在「魔法使い」に、いまだ現実で出会わないのは不思議な話である。これだけ人の意識に浸透している生業なのだから、ひょっこり出くわすなんて事があっても良さそうなものなのに。魔法使いは今どこで何をしているのだろう。

 

もしかすると単にファッションの問題かもしれない。「ロード・オブ・ザ・リング」に出てくるガンダルフのような、とんがり帽子をかぶった魔法使いファッションが流行らないせいかもしれない。工事現場のコーンのような分かりやすい目印を失って、この世には魔法使いが存在しないように見えるだけなのだ。

 

なんて事を書くと、この人大丈夫かと思われそうだが、大丈夫である。この人は元々ラッコという人ならざる人であり、なんなら宇宙の生命体の存在も「さもありなん」と思っているので心配はない。この世には目に見えないレイヤーが沢山あって、こちらのスイッチをオンにすれば、見えるものもあるのだろうと思っている。

 

魔法の域も別レイヤーだとして、オンオフスイッチの在り処が分からない今は、身近なファンタジー作品でその世界を予習しておくことにする。漫画やアニメを歩けば魔法陣に当たる、というくらい、作品には事欠かない今日この頃、数ではなく繊細な描写に驚きながら、魔法世界のリアルな肌触りを確かめている。 

 

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さて、魔法使いを定義するものは何か。生まれながらに持つ魔力なのか、自然に語りかけ、その力を使役する能力なのか、知識を元に現象を引き出す科学なのか。そもそも魔法使いは人間なのか。会って話を聞いたことがないので分からない。たとえ尋ねたところで簡単には教えてもらえそうにない。

 

ラッコの中では、魔法というのは見えざる大きな力(エネルギー)で、それが個人と世界のどちらに由来するものなのかは知らないが、力そのものより、使う側の在り方が問われる類いのものに思える。力(エネルギー)=「 」のカッコ内に何を入れるか。それは、数学のように決まった答えではないから難しい。

 

大きな力を扱う人の在り方が平和的であれば、魔法は日常にとって有効で、平穏なツールになるかもしれない。その真逆を行けば、また違った現実に行き着くだろう。そんな少々お取り扱い注意な代物を、全ての人が使えたらどんな世界になるか。答えはそれぞれの在り方の集合体になる。

 

地球は人間だけの星ではないので、あまりどんちゃん騒ぎ(どんちゃんって何…)をすると、他の住人たちのご迷惑になりかねない。また、あっちを引っ張れば、こっちが千切れるという感じで、エネルギーの不均衡はどこかに歪みを生みそうでもある。現実的に考えると、魔法も、科学技術の懸念ポイントとそう変わらないのかもしれない。

 

『もし全ての人が魔法使いになれるなら』

 

この興味深いテーマから始まる物語がある。ごく最近、ラッコが出会った漫画「とんがり帽子のアトリエ」だ。タイトルと表紙のイラストに惹かれて手に取り、物語の面白さ、絵の美しさに思わず「ため息と鼻息」が出た作品である。

 

 

「とんがり帽子のアトリエ」 白浜 鴎

 

 

主人公の少女の、魔法の存在する世界で魔法に憧れる心理が、ファンタジーの世界に憧れる人間の心理とどこか似ていて可笑しい。ここまで細やかに、、と驚き呆れる一歩手前まで迫った、精緻でクラシカルな絵がとても好みだ。アールヌーボーと鳥山明先生(ドラゴンボール)のイラストを同時に思い出すのはなぜだろう。

 

漫画内での魔法の扱い方はもちろん、主人公の少女が出会う人々との人間関係、置かれた状況を柔軟に乗り越えて行く姿など、見るべき要素はたくさんあり、つい前のめりになって読み進めてしまう。まだ紐解かれたばかりの物語がどうなっていくのか、ラッコはとても楽しみにしている。

 

良かった。とんがり帽子にはまだお役目があったらしい。灰色のガンダルフも一安心である。ただひとつコメントがあるとすれば「そのとんがり帽子、つばの形が変わっておるのう」だろうか。最新ファッションのとんがり帽は、お菓子のとんがりコーンをモデルにしたものかもしれない、なんて。

 

 

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