コンブにラッコ。

今日も波間から 世界を眺める 

秋近し、ラッコは剥かれた栗を食む。

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台風が過ぎ去り、秋が現れる。この実りの季節に、栗を頂戴した。先日の葡萄と同じく、ラッコの母からの頂きものである。なんでも、知り合いの知り合いであるおじいさんの家に栗の木がたくさんあり、食べきれないほど実った分を分けてもらったらしい。

 

食べてみると、中身の詰まった、ほくほくとした食感の立派な栗だった。母が茹でてくれたものを、同居人のなまこさんが剥いて出してくれたので、ラッコはお殿様気分で栗を味わうことができた。誰かが手をかけてくれたものをいただく。それは何よりの贅沢である。

 

秋といえば、車でドライブに行きたくなる。わが家の車はエアコンがないので、秋になればドライブができる、の方が正しいかもしれない。しかし涼しくなると出掛けたくなるのは事実だ。景色をゆっくり眺めながら、気の合う人とおしゃべりしながら道を走るだけでも、気持ちが広々として自由になる。

 

ラッコの家の近くには高台の公園がある。ちょっとしたドライブができるほどの広さで、敷地内には森や散歩道、博物館や物産館もある。季節ごとに、田舎ならではの和やかなイベントが開催される、活気がありながらも、日頃はのどかな場所である。

 

緑の移り変わりを眺めに、夕日を眺めに、なまこ家の二人は、よく車に乗って高台に出掛ける。家のある土地から少し高いだけなのだが、風がよく通るし、車から降りて深呼吸をするだけで気分が変わる。近くにこういった気分転換の場所があることは本当にありがたい。一緒に歩ける人がいることもありがたい。

 

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都会で一人暮らしをしていた時は、よく自転車で公園に行った。大きな池のある、広い公園。その近くにはやはり高台があり、そこから夕日を見たり、春には桜を見たりしていた。土日の、のんびりしながらも、賑やかな公園の空気が好きだった。

 

家族連れの楽しそうな声や、散歩する犬の息づかい、ランニングコースを走る人のリズミカルな足音。水辺のベンチで静かに本を読んでいる人、楽しげに話し込んでいる人達もいる。ラッコはといえば、ただベンチに座り、そんな景色の中でぼーっとしていた。なんだか忙しい都会の中で、その公園は心のオアシスみたいなものだった。

 

ある意味では都会のスピードについて行けず、後は偶然の成り行きで、今の土地へと流れて来たラッコだが、結局は今でも、ぼーっとする時間を必要としている。都会か田舎かは、あまり関係のないことだった。ラッコ本来の生きるペースが、ゆっくりしているだけだったのだ。

 

暑くもなく寒くもない季節は短く感じる。春と秋は、夏と冬の合間の休息だと思って、なるたけ外の空気を味わいながら過ごしたい。おにぎりとお茶を持って、景色の良い所へ出かけるもよし、実りを美味しく頂くもよし、秋にできることを秋のうちに。

 

栗にカボチャに秋刀魚に銀杏。季節のものを食べると元気が出る。季節と全く関係なく今やってみたいのが「ホッピーの焼酎割り」なので、それに合いそうな旬の食材を、何か探してみることにしよう。結局のところ、食欲の秋に収まるラッコなのだった。

 

本日の一品 『 甘栗むいちゃいました 』

ラッコが子供の頃は、甘栗といえば、秋冬の特別な食べ物だった。今は季節関係なく、コンビニでも100円ショップでも手にすることができる。これだけの量の栗となると、どれだけの栗の木、栗のイガがあることか。。